やなせななブログ

シンガーソングライター・やなせななのブログです。

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池田弦さんを偲ぶ会

ここしばらくは北海道~東京~仙台というライブツアーで、旅に出ておりました。
戻ってすぐに学校公演があったので、相変わらずのバタバタな毎日です。
そしてこれから先の週末は、文化の秋、ということで毎週コンサート(※自主開催でないものを含む)。
有り難いことです(*^人^)
そんな、ツアーの話はまた後日。

ということで
少し前のことになりますが、今日は、
池田弦さんとのお別れに、山形県へ行ったお話など。


池田弦さんは、日本では数少ないカウンターテナーの歌手です。
わたしより7つ上の1968年生まれ。
国立音楽大学声楽科を卒業後、海外留学を経て、オペラ歌手としてデビュー。
数々のオペラに出演されるほか、NHKのドキュメンタリー番組の主題歌を唄われたり、また、数多くの合唱団を指導され、いろいろな音楽イベントをプロデュースされて来ました。

そんな弦さんとわたしの出会いは、2011年の夏でした。
東日本大震災復興支援歌「まけないタオル」(作詞:早坂文明、作曲:やなせなな)を、合唱曲として指導してくださったことが縁となり、8月21日に山形県最上町の中央公民館大ホールで開催された『東日本大震災復興・被災者支援コンサート~今、最上から東北に音の風を吹かせて』で共演したのが、最初です。
音の風コンサート最上
その時の様子は、ブログ(★コチラ)にも書いていました。

自分が作った歌が、合唱曲になったのはこれが初めての経験でした。
聞いた時は鳥肌が立ち、思わず涙が出ましたね。
特に震災直後で、まだまだ誰もが不安定な感情を抱えていた時期でしたから、この歌を唄いながら泣いている人もたくさんいらっしゃったことを覚えています。

その後も、東京、最上町(2度目)、埼玉と、合計4回の共演がありましたが、弦さんはいつも合唱団の子どもたちに囲まれていて、にこにこ元気いっぱいでした。
また、折に触れてFacebookやtwitterで、わたしにもやさしい声をかけてくださり
2014年の末に都内で講演会をした時には、お忙しい中、駆けつけてくださいました。

結局
それが弦さんと会った最後になってしまった。

今年の7月6日、弦さんは虚血性心疾患でご自宅で倒れ、そのままお亡くなりになったのです。
まだ48歳。
突然のお別れでした。
この度、弦さんとゆかりのある山形県最上町でお別れの会をするというお知らせをいただいたので、わたしも参列させていただくことになりました。
決して長いお付き合いではありませんでしたが、震災、そして支援歌を共に歌うという深いつながりに、ただただ感謝。

いっしょにコンサートをした、最上町の公民館です。
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この日の空は、雲ひとつない青空でした。
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アスパラガスの産地である最上町。
アスパラの美味しい時期に、最上で飲みましょうね、って言ってたのに
と、悔やまれます。
そんな話をしながら、最上の和尚さんとおそばをいただく。
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大きくて甘いアスパラの天ぷらが、せつなかったです。


お別れ会の会場ホールに入ると、エントランスに弦さんのこれまでの功績が展示されていました。
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震災以降の活動も。
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弦さんに音楽を教わった子どもたちのメッセージを読むと、目頭が熱くなります。
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公民館大ホールのステージ。
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会は、弦さんの一生や功績を振り返る映像や
縁ある人の想いに触れる時間
そしてお母様のバイオリニスト・池田敏美さんを始めとする音楽の演奏、という構成でした。
泣きながら弦さんへの想いを伝える教え子の青年のことばに、会場が涙で包まれ
また、町の人々からどれほど愛されていたのか
音楽教育にどれだけ大きな功績を残していたのか
改めて知らされ、強い感銘を受けました。

そしてわたしも唄わせていただきました。
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「まけないタオル」も、皆さんといっしょに。
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その後、「ビリーブ」や「千の風になって」などを会場全員で唄いましたが
「ビリーブ」を唄うと思わず嗚咽になってしまいました。
あの曲、弦さんが子どもたちの合唱団に指揮されているときに初めて聞いて
それまで知らなかったのですが、すごくいい曲だなあって感動したんですよね。
弦さんの好きな曲だったそうです。
だから、なんだか胸が詰まってしまいましたね。


2011年12月18日 東京グランドホテルで開催された「音の風」コンサートのパンフレットに書かれていた弦さんの言葉です。

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 本日は“音の風”コンサートにご来場いただき、ありがとうございます。

 3.11大地震の後、私達は自分たちに何ができるのか考えました。
「音楽は無力なのか」「歌はどんな力を秘めているのか」「子供達に何を見せ、何を聴かせなければならないのか」。
 この夏、子供達と向かった各地で、被災された方々、私たちを迎え入れてくださった地域の皆さんとの数多い出会いがありました。
 そして、皆さんと共に歌った時間の中から、『音楽で人は通じ合える』という確かなものを感じることができました。
 あの時、私達が「東北で歌い吹かせた風」、そして今日、またここに仲間が集い「新しく吹く風」。
 一人でも多くの方に、この“音の風”を届けたい、そして共に“音の風”になりたい、と強く願い、この活動を支えてくださっている全ての方々に感謝しながら、私達はこれからもこの活動を続けたいと思います。

 音の風 代表 池田弦
音の風パンフ


帰り道すがら、まけないタオルプロジェクト代表の三部義道さんが
「弦ちゃんは、何か役割を持って生まれて来て、それを果たすために生きたんだね」
と、ぽつり。

音楽家として、人知れず、苦しみもがいていたのかもしれませんが
人前ではいつも笑顔を絶やさず、音楽を奏でる喜びと、歌の持つ力を伝え続けてくださった弦さん。
ほんとうにありがとうございました。
音の風は、わたしも含めて、弦さんを知る多くの人々のいのちの上を、今も吹き渡っています。




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